晴朝雨夜

晴れた朝も雨の夜も、変わらない一日。

舞台 hammer & hummingbird の下準備!?

hammer & hummingbird | Superendroller

こちらの3/3のソワレで観劇します。
まずはその私の下準備について(笑)

 

公演前に発表された、主宰の濱田真和氏と主演の磯村勇斗氏のインタビュー記事

qetic.jpを事前に拝見していて、「ビート・ジェネレーションから着想」と「詩人」というキーワードから心に浮かんだものが2つありました。

一つは、私の中のビート・ジェネレーションの象徴、アレン・ギンズバーグの「吠える」という詩。冒頭はこう。

僕は見た 狂気によって破壊された僕の世代の最良の精神たちを
アレン・ギンズバーグ(『ギンズバーグ詩集』思潮社

二つ目は、ビートではないけど、同年代のサリンジャーの作品の中の詩人に関する文章。手元に本がなくて(確か初読も図書館だったはず。サリンジャーは「ナイン・ストーリーズ」しか持ってない気がします)正確な文章が思い出せなくて、検索したら訳文の引用が検索できました。

もしあなたが詩人であれば、あなたは何か美しいことをしなくちゃならない。それを書き終えた時点で、あなたは何か美しいものを残していかなくちゃならない。
J.D.サリンジャー(『フラニーとズーイ新潮文庫

近年、村上春樹氏の訳で文庫が出版されていて、個人的に村上氏とサリンジャーはすごく合うんじゃないかと思って読もうと思っているのに読んでません。ゴメンなさい。

ギンズバーグの詩集は手元にあったので、「吠える」は再読。やっぱりなんだかちょっと打ちのめされました。

長い詩で、初めて読んだのは高校生の頃。でも、たぶん、本当のところは何にも分からないまま読んでたんじゃないのかと思います。当時は自分の反抗や反発と重ねてしまってたかな。年齢を重ねて読み返してみて、見える世界が広がった分、読み終えた後に自分の心の中に残っていくものも違う気がします。

大好きだけど、読み返してみてもやっぱり好きな言葉たちだけど、私の本質はビートじゃないので、ビートの部分はあるのかもしれないけれど折り合いをつけられている人間なので、打ちのめされた部分を上手に言葉にしてあげられないくて、ちょっと辛いかも。

 

『hammer & hummingbird』の主人公は「中村泳(およぐ)」

翔(かける)でも、歩(あゆむ)でもなく、泳(およぐ)

とても繊細な語感だなと思いました。
止まったら死んでしまいそうで、周囲が淀んでいても死んでしまいそうで、環境が清澄すぎても死んでしまいそうで。つまりはなんだかいつもギリギリのエッジの所でもがいていそうで。
漂い続けたら沈んでしまいそうで、体を横たえて休むこともできなそうで。
どこまでも流されてしまいそうで。
でもいつか水平線の彼方まで泳いでいってくれそうで。
この精細な語感をあたえてくれる言葉で、何が綴られていくのだろうと、今から私はワクワクしているのです。